2011/09/17

ドミンゴのシモン・ボッカネグラ


(C)Wiener Staatsoper/Michael Pöhn

 ウィーン国立歌劇場は今シーズン、ドミンゴ主演のヴェルディのオペラ《シモン・ボッカネグラ》で幕を開けた。ただでさえ人気の高いドミンゴがバリトンとして出演するとあって2回しかないこの公演はたちまち入場券が売り切れた。しかもシモンを憎むフィエスコにフルラネット、シモンの娘マリアにフリットーリという組み合わせだから一層前評判は高まった。マリアの恋人アドルノはマッシミリアート・ピサピア、陰謀をめぐらすパオロに甲斐栄次郎が起用され、指揮はカリニャーニという布陣だった。

 あまりの拍手に防火壁の幕を下ろしても拍手は鳴り止まなかった。結局ドミンゴとフリットーリの2人が幕と柱の間から顔を出し、ようやく拍手は止んだ。この間30分。1シーズンに1回あるかないかの聴衆の熱狂振りだった。当然最大の拍手はドミンゴに、次はフルラネットにという反応だったが、実力伯仲の歌手たちが競い合う舞台は聴き応えがあって、これがオペラの醍醐味というものであろう。フリットーリもそうだが、これぐらいの水準になると、歌だけでなく役としての登場人物の心理表現まで迫力に満ちたものになる。

 《シモン・ボッカネグラ》は14世紀貿易で栄えたジェノヴァが舞台。貴族と平民が争っている中、平民のシモンは貴族フィエスコの娘マリアと愛し合い子供をもうけるが、親の反対でマリアと会えないまま彼女は死に、娘のマリアも行方知れずになっている。シモンはジェノヴァの総督に選ばれるが、最後は自分を担いだパオロの裏切りで彼によって毒殺される。それでもあくまで平和を求めて死ぬという筋である。シモンは苦しみに耐え、高貴で寛容な魂を持つ堂々たるジェノヴァの総督という難しい役だけに、単なる美声などという次元を越えていなければならない。それは年季を経た人生経験豊かな歌手にして始めて表現できるものであろう。

 ドミンゴは70歳を越えた。それでいてあの輝かしい声にはいささかの衰えもない。テノールとしての高音は限界に来ているから、バリトンに転向したのであろう。だが、その充実振りは見事なものであった。テノールとしてドミンゴはデル・モナコの路線を継承している。パヴァロッティはディ・ステファーノの路線を継承し更に大きな存在となった。しかし、そういうこと以上にドミンゴは歌手、芸術家として殆ど前人未踏の境地に至っている。イタリアものだけでなく、ドイツもの、それもワーグナーの《ワルキューレ》のジークフリートまでこなしているのだ。それだけではない。ワシントンオペラの監督であり、指揮者としても実績を残している。こういう歌手がどこにいたろうか。

 ドミンゴは絶えず進化し続けて来た。歌舞伎役者が60になり、70になって若い娘を演じられるようになるように、70を越えたからこそ表現できる境地に至っているのだ。

 数少ないテノールの中で抜きん出ていたリチートラが9月5日交通事故で亡くなった。ウィーン国立歌劇場にラダメス(アイーダ)、アンドレア・シェニエ、グスタフ3世(仮面舞踏会)、アルバロ(運命の力)、カヴァラドッシ(トスカ)など6つの役で36回出演した。まだ43歳という今が最盛期のテノールだっただけにその損失は計り知れないものがある。


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