2011/11/21

刷り込み


年を取るにつれてどういうわけか朝ふとメロディが私の脳裏に浮かんでくる事が多くなった。それが年寄りらしく童謡など昔口づさんだメロディなのだ。そこまでは良かろう。ところが困ったことに軍歌も遠慮なく私を脅かす。「畜生!!」と私は心の中で舌打ちする。何しろ私の生まれは1933年で、国際連盟はわが国に「満州」からの撤退を勧告し、日本は国際連盟を脱退する、ドイツではヒットラーが政権を握るなどと20世紀が血生臭い方向に踏み出した時期なのだ。

私は子供のころよく分かりもしない母の明治・大正文学全集を読みふけっていた。永井荷風の「腕比べ」を読んだのは小学4年生のときだった。小さいころは将来小説家になりたいと憧れていた。それが世間は次第に軍国主義の気風に染まっていき、私もそのころしきりに流されていた軍歌を覚えていった。小学2年生のとき太平洋戦争が起こった。

もう子供の「文学少年」どころではなくひたすら海軍兵学校に行きたいとその格好良さに憧れたりしたものだ。学校では海洋少年団なるものが作られ、水兵さんの帽子だの、服だの着せられ夏は商船学校で合宿させられ、日常生活に軍国主義は浸み込んできた。歌う歌はもう童謡ではなく勇ましい軍歌にかわった。音楽の時間に和音を聞き分ける時間があったが、後で考えるとそれは襲来する敵機を聞き分ける練習だったのである。

こうして軍国主義の刷り込みがなされたのだ。鹿児島だから朝早く示現流の稽古を「ヤー!」という嬌声を上げて子供の僕は庭に作ってもらった立ち木を叩いていた。それで敵を殺すのだと信じさせられていた。

現在テロが世界中を覆っている。中近東の若者たちが、時には子供がテロに走り、テロに加担させられている。その姿を見ていると私は自分の子供時代を思い出す。自分の信じている神でない、別な神を信じているものは殺してもかまわない、という恐るべき考えに染まっている若者たちも多いという。

こういう単純な考えは刷り込みでなくどこから生まれるであろう。刷り込みは冷静に別な角度からものを見る目を失わせる。刷り込みの恐ろしさはそこにある。様々な方法で刷り込みはなされる。私の育った時代の軍歌も刷り込みに一役買っていたに違いない。

ふと頭に浮かぶ軍歌のメロディは私にとって子供時代の刷り込みのシンボルの一つなのだ。それは脅迫観念のようにしばらく頭の中を走り回る。そのたび毎に私は「畜生!!」と毒づき、子供時代の軍国主義をののしりながら、世界のどこかで偏狭な刷り込みが柔らかな頭脳に行われていることに思いを馳せるのである。


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