2012/12/15

■『21世紀へ』


私たちはあっという間にもう21世紀を10年以上過ごしてきた。何千万人という殺戮の第1次世界大戦、第二次世界大戦の後,もう人殺しの世紀は過ぎ、希望に満ちた新しい時代が来るのではないかという期待は,21世紀に入ってすぐ破られた。1989年社会主義諸国の多くが崩壊し、東西対立の緊張が溶けたのも虚しかった。
ニューヨークの世界貿易センターを襲ったテロの3000人近い犠牲者もさることながら、それはもっと長く続くであろうテロの世紀の幕開けとなった。不幸にして当時のアメリカのブッシュ大統領は道を誤り、テロは力で押さえ込めると過信し、アフガニスタン、イラクの戦いの泥沼にアメリカを迷い込ませ、アメリカを中近東の敵にしてしまった。

それだけではない。彼の取った政策はアメリカの財政黒字を赤字に転落させ、それは間もなく世界大不況の源となったアメリカの経済パニックの原因の一つとなった。アメリカが世界の覇者たることは遠からず終焉するであろうことは見えていたが、それを一気に早めてしまい、世界の政治的バランスをも一気に崩してしまった。それはアメリカ史上最悪の大統領の汚名をブッシュがかぶるという個人的問題をはるかに超える、世界への悪影響の原因となった。 このことは21世紀のテロの暗い影を一層濃くするものであった。

アメリカの覇権が決して良いことを意味していたわけではない。しかし、歴史の急激な変化は過去どの時代をとってみても避けられないものであったとはいえ、今回も軍事力に頼るという幼すぎる過信に基づく政治的決断は、21世紀が1国の過ちの悪影響を直ちに世界中に広げる時代であるという認識を持てない政治指導者によって、身動き取れない状況を生んだともいえよう。その原因は政治だけでなく、軍事力、経済に深い傷を与えたからでもある。

ここには新しい世紀が過去の世紀と完全に異なる状況にあるという認識不足がある。アメリカの力や影響力を時代遅れのまま過信した大頭領の認識不足は、我々もまた深く考えるべきである。もう時代は20世紀でなく、21世紀なのだ。この意味は後世歴史的大変化の節目として歴史書に書き込まれるであろう。ことは政治だけの問題ではない。経済も、文化も、思考回路も根本から変える必要がある。

世界政治などと大上段に構えるのでなく、身近なことを振り返って見るだけでもそのことは理解できるであろう。例えばコンピュータの発達と普及がどれだけ人々を怠惰にし、文字を書かなくしたか、自らの日常を振り返るだけでも明らかとなろう。人々は郵便というものを過去の遺物にしつつある。勿論ここで述べていることは事の善悪を判断しているわではない。変化の重大さ、深さ、質的状況に触れているだけである。そのことを理解しなければ我々はブッシュ大統領のように個人生活においても、世界観、価値観においても見誤るであろう。そのことの重大さを述べているのである。なるほどコンピュータは確かに便利である。この便利さへの信仰はすでに一世紀以上前から懐疑的に考えられて来てもいたのだ。

1952年上京した時急行列車で32時間かかった。留学した時の南回りの飛行機も、同じく30時間くらいかかった。ところがどうだろう。今では日本とヨーロッパは直行便で11~12時間で結ばれている。はっきり記憶しているが、当時17万5千円だった航空運賃は格安チケットで、幸運な時、その3分の1くらいで手に入ることもある。ましてや半世紀近い以前との物価指数を考えると、これは当時想像すらできなかった価格でもある。かくして多くの人が旅行であれ、留学であれ、いとも簡単に外国に出かけるようになった。この現象を素朴に喜んでいいのかどうか、時に考えることがある。

幸いにマリア・カラスやデル・モナコなど大歌手の時代を経験した。長生きはありがたいことだと思う。残念ながらカラスの生演奏だけは体験していないものの。したがって現在の歌手たちを聴くときつい大歌手時代と比較してしまう。しかし、それはもうやらないことにした。時代が違い、あり方が違ってきているのだ。昔の歌手たちは指揮者と共にじっくり自分の芸を磨きながら育っていった。現在は才能ある歌手たちはジェット機で世界中を飛び回っている。同じような育ち方をするわけがない。どの時代もどの地域にも才能は遍在する。ただ時代と環境によってあり方が変わらざるを得ないのだ。こう考えて今の時代すなわち21世紀を生きて行かないとこの時代からはみ出してしまうばかりだ。つまり思考回路、価値観をすっかり変えることが求められているのだ。
そうすることによって私たちはものの見方が変わるであろう。そして新しい価値を見出すことも可能になるであろう、と思うのである。


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