2013/11/22

■日本とヨーロッパ ~①


國のかたち その2

近代史におけるヨーロッパの植民地政策からも、ヨーロッパから最も遠いがために逃れたと言っていいであろう。歴史家の石母田正は植民地の統治の困難など、植民地化された國の反乱や犠牲の上に、わが国の植民地化は逃れられた、その点でアジア諸国の植民地のお陰を被っていることを考えるべきではないか、と説いた。この説は私のヨーロッパ観に大きな影響を与えた。

遣隋使、遣唐使の諸先人たちは、その荒々しい海を越えて、貿易や、学問を求めて中国に渡った。阿倍野仲麿のようについに祖国に帰ることが出来なかった文化人もいる。宗教、文化を中国から受け継いだ、わが国の彼の国に対する尊敬と憧れは、明治維新まで続いた。この尊敬の念、憧れの念は、明治の開化思想でいつの間にか、欧米への尊敬、憧れにすり替わったようである。しかも日清戦争、日露戦争などを通して、わが国は驕り高ぶり、近隣諸国を見下す風習すら生み出した。

第二次世界大戦で木っ端微塵にこの思い上がりを打ち砕かれたわが国の人々の中には、戦後欧米に対する卑屈さを無意識に持ってしまった人々もいる。そういうことではないのだ。私は留学したほぼ半世紀前に、ヨーロッパに盆栽が定着しているのに驚いた。高村光太郎が、その詩の中で、わが国の文化は「根付」ぐらいに小さいと嘆いたが、そうではない。ヨーロッパ人は大きなものを好む。我々は小さなもの、微妙なものの中にも美を感じ取り、発見する能力を持っている。

今や寿司は愚か、先日見たドラマの中では「おにぎり」を作るヨーロッパの家庭の風景を発見して、私は唖然とした。21世紀は國の垣根を想像以上に低くしつつある。われわれが先輩から引き継いだ、海の彼方の優れた文化に対する尊敬と憧れは持ちつつも、わが国独特の文化と価値観を失ってはいけない。この「優れた文化に対する尊敬と憧れ」は、海というお堀に守られてきたわが国の地勢の賜物でもある。謙虚に他人に対する崇敬の念を持つわが国の伝統は、高く評価されている。同時に自らの伝統の素晴らしさも、外国から見ると驚異の目で見られてもいるのだ、ということも決して忘れてはならないのだ。


2013/11/17

■日本とヨーロッパ ~①


■國のかたち その1

私は長いことローマという国のかたちが馴染めなかった。のみこめなかったのだ。
何故ならば、ローマは国の中に海を抱え込んでいたからである。それと対照的にわが国は海に囲まれている。私の頭の中に、國というものは一つのまとまりであり、それを取り囲む海か、何ものかがあるのが当然だ、という考えが染み込んでいたせいであろう。

ところがローマはまるでその概念と正反対に地中海を内部に抱だき、その周辺の地域からなる一大国家だったのである。これは何か違う、と私の思考は長いこと私に抵抗していたのであろう。ローマは何に囲まれているのだろう、と私の國のかたちの固定観念が、私に異議を申し立てていたのだ。 ヨーロッパに暮らし続けて23年になる。歴史好きの私だが、知っているつもりの歴史の形が、このやや長いヨーロッパ暮らしの中で、より深く理解できて来たのであろう。

例えばウィーンはハプスブルク家の中心だったのだが、スペインの南アメリカ征服はハプスブルクのスペインの仕業だったとか、皇帝軍のローマ略奪は何のことはないハプスブルク家のカール5世の軍隊と法王軍との戦いの結果だとか、何とも自分の歴史認識の浅さが分かってきたのである。

そこで再びローマ国家に目を転ずれば、この強大な國が地中海貿易で儲け、やがて次第に周辺国からの民族移動、侵略で蝕まれて行ったのだと認識するようになった。海を取り込んだ國はその後ビザンティン帝国も、オスマン帝国も、ローマのような広大な領域は持てなかった。

國のかたちというものは人類が都市国家を脱し、大きな勢力圏を形成するようになってから、常に戦いによって変化し続けて来たのである。だが、わが国は明治以降の侵略戦争で得た植民地を除けば、ほぼ1400年間、完全な統一体ではなくてもほぼ共通の言語を有し、文化的に同質なものを保持してきたのである。勿論、アイヌ民族の言語、文化もこの国の中にあった。こういう原型を維持し続けた國は、世界的に見て数少ないものである。
それはひとへに海に囲まれていたという地勢的理由による。蒙古の襲来もたまたま2度とも台風のお陰で防げた。この時期ヨーロッパ一帯はウラル山脈の東の民族に蹂躙されているのである。

フィンランドとは「フィン」の國、詰まりフン族の後裔であって、彼らは自らを「スオミ」(千の湖の国」と称しているのである、エストニアも又然りである。ハンガリーは「ハン」の国である。中学生の私は集めた切手に「マジャール」というのがあって、一体どこの国かと思っていたら、ハンガリーのことであった。彼らはマジャール民族なのである。だからハンガリーに行けば、「アッテイラ」というかつての侵略者の王の名を名乗っている人がいる。

つまりフィンランドもハンガリーも、元を正せばウラル山脈を越えて何千キロもの遠いヨーロッパ迄侵略した、モンゴル帝国の子孫たちが形成した国なのだ。だが、彼らはすぐ近くのわが国を海があるがために、侵略できなかったのだ。(つづく)


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