2015/07/20

■緊急の訴え   野村三郎


僕は1933年ヒトラー政権成立の年に生まれました。現在82歳で後2桁の年数を生きる可能性は殆どありません。
日本敗戦の時、小学6年生でした。
1945年6月17日の鹿児島大空襲の時、1メートル先に焼夷弾が落ち、間にあった南天の木のお蔭で命拾いをしました。隣の地方気象台へ駆け込み、そこから自分の家が焼けるのを見ておりました。

父の会社は焼失し、母は専業主婦から内職主婦になり子供を育ててくれました。母の弟(僕の叔父)は戦病死し、長兄は学徒動員で生き埋めになりましたが、かろうじて命拾いをしました。次兄は戦後肺結核になりました。
僕は大学卒業の折ひどく具合が悪く、診断の結果「栄養失調」でした。大学院の入学金は恩師栗田直躬先生に出していただきました。(勿論アルバイトで急ぎお返し申し上げました。)

音楽に熱中している野村三郎のもう一つの顔は哲学と社会学です。
僕の精神史の出発点はナチの強制収容所から奇跡的に帰還したヴィクトール・エミール・フランクルの「夜と霧」です。
アウシュヴィッツには2度行きました。これまでずっとヒトラーとファッシズムの本を読み漁りました。次のターゲットは「スターリンと全体主義国家」です。

さて本題です。
安倍政権は「安保関連法案」10本を一括閣内決議し、現在この法案は参議院に送られています。
憲法学者の90%がこれは憲法違反だと判断しています。この中に「集団的自衛権」なるものが含まれています。
同盟国アメリカが戦争を起こしたら、実質立派な軍隊である自衛隊は世界中どこへでも派遣されます。
今もし1950年の朝鮮戦争のような事態が発生すると、日本に核弾頭を積んだ長距離ミサイルが飛んでくる可能性があります。

安倍首相は内閣法制局長官、日本銀行総裁、NHK会長に親しい人物を送りこみました。
こうして憲法改悪の外堀は埋められつつあります。
僕の命はもう長くありませんから構いませんが、皆さんの家族、兄弟姉妹、子供、孫の運命はどうなるでしょう。
戦後70年間戦争しなかったわが国の平和は破られかねません。
9月末の国会終了後、我々が極めて危険な政治的状況に陥る可能性について、充分認識されるよう訴える次第です。

ウィーンにて  2015.7.17


2015/07/05

■モーツァルト印♪


≪モーツァルト印≫

モーツァルトの作品の演奏や楽譜、レコード・CDの売り上げは年間一体どれほどの額になるのだろうか。それは計算不可能だろうが、恐らく天文学的金額に上がることだろう。

それにモーツァルト・グッズなるものもある。モーツァルトチョコに始まり、ワイン、時計、カレンダー、およそ考えられる限りモーツァルトの名前を冠した商品がウィーンとザルツブルクに氾濫している。

そのほんの一部分でもいいから生前のモーツァルトにあげられたらなあと時々思う。それはハイドン、ベートーヴェン、シューベルトも同じである。しかし、と思う。これほど商業化された“モーツァルト”という現象は、いったいなんなのだと。

こういう商業化は、第二次世界大戦直後は、想像もつかなかったことであった。人々は今日の食べ物をどうしようかということで頭が一杯であった。第二次世界大戦後、廃墟と化したウィーンで人々は衣食住のいずれにも困っていた。それはウィーン・フィルのメンバートとて例外ではなかった。

ヒューブナー夫人は、「私が国立歌劇場で歌い始めた1946年の初任給が80シリングだったの。ところが闇市でバターは1キロ80シリングしたのよ。つまりひと月の給料では、バターは1キロしか買えなかったってわけ。」と言った。

ところがそこに救い主が現れたのである。ヒューブナー(ウィーン・フィル会長1972-1978)が「国立歌劇場にケア・パケットというのがあってね。これには当時手に入らないものが入っているものだった。又、録音のお礼を現物で支給してくれたりした。こちはスイスにある商社を通じて不足している物を送ってくれた。食べ物、コーヒーなどはとても助かった。最高だったのは、背広の生地を送ってくれたことだった。」と言った。

交通は破壊され、彼らは演奏会会場まで歩いていくこともしばしばだった。こういう状況の中でウィーン・フィルは1945年4月27日、コンツェルトハウスで演奏会を再開したのだった。演奏の最中に停電した。それでも彼らは最後まで弾き続けた。もちろん、室内楽の演奏も再開された。
ウィーンの冬は寒い。彼らはオーバーを着て演奏したという。

ウィーンで室内楽を聴くとすれば、ムジークフェラインのブラームスザールかコンツェルトハウスのモーツァルトザール、或は、昔の貴族の館の一室、教会付属の建物の一室ということになろう。

勿論、ムジークフェラインの大ホールという記録もあるが、聴衆は50人の事もあれば、多くてせいぜい500ないし600人である。収入としてはそう多くを期待できるものではなかった。聴衆はこの窮乏の時にもかかわらず会場を満たしたという。
いや物質的不足があればこそ、かえって精神的に満たされたかったからに違いない。

それにしてもこの1950年代の弦楽四重奏団はなんと自然で心に沁みるものをもっていることだろう。それは演奏家も聴衆も音楽が本質的に持っている魂の癒しをお互いに求めていたからではなかろうか。
私はこの演奏をした音楽家たちと話をしているといつも爽やかな気分になるものだった。それは彼らが商業主義と縁遠かったからではなかったろうか。

“モーツァルト印”の商業主義がはびこるのは、世の中が豊かになってからである。
例えばカラヤンである。彼は自ら自分を“カラヤン印”の商品にした。
私は彼の音楽の傑出した才能を認めるのに吝かでない。しかし現代の演奏というものを正に現代流に商業化したのは彼であった。そしてその後に小カラヤンが続々と続いているのである。
しかし、その中で商業主義にどっぷりと漬かっていない魂のこもった音楽が仮にあるとするなら、そのひとつにこのCDを入れたいと思う。  [野村三郎]

*ウエストミンスター復刻版CDライナーノート ≪ウエストミンスター室内楽~16≫より

◆ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団(1934-1967)
Wiener Konzerthaus Quartett
Anton Kamper   第1ヴァイオリン
Karl Maria Titze 第2ヴァイオリン
Erich Weis ヴィオラ
Franz Kvarda チェロ


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